オログンデ・サ 元無神論者、インド(1/4)


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アッサラム・アライクム・ワラフマトゥッラヒ・ワバラカートゥフ(あなた方の上に平安と、アッラーのご慈悲、かれの祝福がありますよう


虚偽は、何よりも真理を際立たせます。キリストに出会ったおかげで、私は米国にやってた6ヶ月後にイスラムに入信しました。


私はインド出身で、数々の神々を崇拝する人、つまりヒンズー教徒たちの中で育ちました。インドのあらゆる路地や街角では、木や石、象牙、さらには金銀で作られた偶像をげる寺院を見つけることが出来ます。


私はヒンズー教徒の家庭に生まれたのではありません。私の両親は神を信じてはいませんでした。彼らは無神論者だったのです


親は私に、神などいる訳がないとえました。子供の私は両親が言うことは何でも信じました。私は二人を尊敬し、二人が全てを知っている完璧な存在だと思っていました。しかし、私は成長すると、親は全てを知っているのではないことに気付きました。二人は完璧ではなかったのです。そして間違いも犯しました。


私はある時点で、人生に関するいくつかの疑問を抱き始めました。これらの疑問は、大半の人々も同じように持つものであることに間違いはないでしょう。


人生の意味と目的は何なのか?なぜ人は善と悪を選ばなければならないのか? なぜ人は死ぬのか? 死後には何が起きるのか?


私の両親は、それらの質問に対する答えを持ち合わせていませんでした。


私は一人で考えはじめ、やがて熟考の末、神は存在するのだという結論に辿り着きました。それは、神こそが唯一なる真実であるというものでした。


自然界には調和と完全性があり、それは偶然の産物であってはならないのです。


設計者なしには設計は存在せず、創造者なしには創造は存在しないのです。私たち人間は偶然でも進化の産物でもなく、創造されたのです。


創造主が唯一なる者であるということは、私にとって明らかでした。それが複数の者によるものであれば、力の分裂や仲たがいが起き、混乱と無秩序がもたらされるでしょう。


こうして私は神を信じるようになりました。また、私は所業の清算についても信じました。私たちの行いは、私たちがコントロール出来る唯一のものです。それ以外のことは、私たちには何の力も及ばないのです。


神 は私たちに善と悪を選択する自由をお与えになったことから、私自身による選択、またはいかに振舞うかが非常に重要であることは明白でした。私は心の奥底 で、ある日自分の行いのすべてが清算されなければならないことを知っていたのです。神にはすべての力があり、報奨と懲罰を与えることが出来るのです。それ ゆえ、私は神を非常に畏れました。


私は神を信じていましたが、宗教を持っていませんでした。 私は、その人物が良い人間であれば、どの宗教に属していようが関係ないと思っていました。しかし、そういった考え方には重大な欠陥があります。とにかく、 当時の私には理解がなく、ただ神を畏れる男性を夫として見つけたいとだけ思っていました。私は一神論者として、キリスト教徒、ムスリム、またはバハーイー 教徒と結婚したいと思っていました。


私と夫の出会いは、とても変わったものでした。彼はキリスト教徒で、米国人でした。彼は知り合って3日目で、私にプロポーズしたのです。私は彼がとても誠実で、神への畏怖心に満ち溢れた人物だと思いました。私たちは結婚しましたが、2週間後、彼は米国に帰国しなければなりませんでした。彼は私をつれていくことが出来なかったのです。私が米国のビザを取得するまで、1年半かかりました。


米 国はインドとは非常に異なる国です。米国のライフスタイルに適応するのにはしばらく時間がかかりました。私の夫は非常に献身的なキリスト教徒でした。彼は 「ワールドワイド・チャーチ・オブ・ゴッド」のメンバーで、定期的かつ頻繁に、ときには熱狂的にバイブルを読みました。彼は安息日を守り、セブンスデー・ アドベンチスト・教会の集会にも行きました。私は彼と一緒に数回、教会に行ったことがあります。またバイブルも読み、私が神について信じていたこととの共 通点も沢山発見しました。私は「神への畏怖心は、英知の始まりである」という格言が好きでした。教会では沢山の良い人々に会いました。そして数人の親友も 出来ました。私は特に、年配の人々に愛着を感じました。物事はすべて順調に行っているかのように見えました…義理の家族を訪ねにカリフォルニアに行くまでは。


そ れは、私がロサンゼルスへ向かう地下鉄に乗っていたときです。誰かが乗車し、乗客にチラシを配り始めたのです。手元に配られてきたチラシに目をやると、そ こに書かれてあることに驚愕しました。私はそのチラシを丁寧に保管しました。それにはこう書かれていたのです。「救済されるためには、何をしなければなら ないのでしょうか?」

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