イスラームにおける非ムスリムの権利(9/13):公正を受ける権利・下


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あるとき、カリフだったアリー・ブン・アビー・ターリブとあるユダヤ教徒との間に確執が起き、彼らは裁判官シュライフ・アル=キンディのもとへと行きました。シュライフは何が起きたかについて詳細を述べています。


「アリーは鎖かたびらが紛失しているのに気付き、クーファに戻るとあるユダヤ教徒の男がそれを市場で売りに出しているのを見つけた。彼は言った。『ユダヤ教徒よ!その鎖かたびらは私のものだ。私はそれを売却のために譲った覚えはないぞ!』


ユダヤ教徒は応えた。『これは私物です。私の所有なのです。』

アリーは言った。『では裁判官にこのことを裁いてもらおう。』

それで彼らは私のもとを訪れ、アリーは私の隣に座るなり言った。『あの鎖かたびらは私のものだ。私はあれを売却のために譲ったりはしていない。』


ユダヤ教徒は私の正面に座りこう言った。『あれは私の鎖かたびらです。私の所有物なのです。』

私は尋ねた。『信仰者の長よ、あなたには何か証拠がありますか?』

アリーは言った。『ある。私の息子ハサンとカンバラが、あれが私の鎖かたびらであると証言出来るだろう。』

私は言った。『信仰者の長よ、父親のために行われる息子の証言は法廷では認められません。』


アリーは語気を強めた。『神こそは完全なる御方なり!あなたは楽園が約束された男の証言を認めぬと言うのですか? ハサンとフサインは楽園における若者たちの長である、と神の使徒が言ったのを私は聞いたのですぞ!』1


ユ ダヤ教徒の男は言った。『信仰者の長は私を裁判官のもとへお連れになった上、裁判官は私に有利に裁いて下さった!私は唯一なる神以外は崇拝に値せず、ムハ ンマドがかれの使徒であることを証言します(イスラームへの改宗の宣言)。信仰者の長よ、その鎖かたびらはあなたのものです。それをあなたは夜間に落とさ れ、私が拾い上げたのです。』」2

ム スリムによる非ムスリムへの公正さにおける驚くべき事例は、サマルカンド征服時にも見出すことが出来ます。ムスリム軍の総督だったクタイバは、サマルカン ドの住民たちにイスラームを受け入れるか、保護の対象としての契約民となるか、または戦いに突入するかの選択肢を与えていませんでした。征服から数年後、 サマルカンドの人々は新しいカリフとなったウマル・ブン・アブドル=アズィーズに苦情を訴えました。彼らの苦情に耳を傾けたウマルは、サマルカンドの長官 に街を人々へ返却して撤退した上で、人々に三つの選択肢を与えるよう指示しました。即座に行われたその公正さに感銘を受けたサマルカンドの人々は、その多 くがイスラームへと改宗したのです。3


ま た、歴史からはムスリム大衆が非ムスリムの権利について意識し、統治者から彼らの公正な扱いを求めたことも見て取れます。ウマイヤ朝のカリフ、ワリード・ ブン・ヤズィードはキプロス島の居住者たちを撤去させ、シリアに強制移住させました。当時のイスラーム学者たちはこの行為を認めず、抑圧であると宣言しま した。彼らは彼の息子がカリフになった際に、人々が故郷に再び定住することが出来るようにこの問題を取り上げました。彼はその提案に合意したため、ウマイ ヤ朝における最も公正な統治者として知られています。同様の歴史上の出来事としては、レバノンの長官サーリフ・ブン・アリーが、一部の住民が農作物の税金 を支払わなかった非ムスリムの村落を村ごと退去させた事件から見出すことが出来ます。長官はカリフに近い顧問を務めていましたが、シリアの著名なイスラー ム学者だったイマーム・アウザーイーは彼ら非ムスリムを擁護し、抗議の手紙を送りつけたのです。その手紙は、このような文面となっています。


「あなたはいかに、少数による悪事によって全体に懲罰を加えることをなさるのでしょうか? 彼らを住処から追い出すのは行き過ぎた行為です。神は仰せられています。

 “重荷を負う者は、他人の重荷を負うことは出来ない。”(クルアーン53:38)


これは、熟考し行動に移すべき最も説得力ある証拠です。そして忠実に守り、実行に移すべき預言者による命令として、次のようなものもあります。


『誰であれズィンミー(イスラーム国家内に居住する非ムスリム庇護民)を抑圧するか、絶えがたいほどの重荷を背負わせるのであれば、私は審判の日、彼について異議を唱えるであろう。』」5


「彼らは、あちこち望んだ場所に移動させることの出来るような奴隷ではないのです。彼らは契約の民であり、自由民なのです。」6


作家や歴史家たちは、イスラーム世界に住む非ムスリムへの公正な処遇について認識せざるを得ませんでした。英国人の歴史家H.G.ウェルズは、こう記しています。


「彼らは公正・寛容という偉大なる伝統を確立させた。彼らは人々の心に親切さと寛容さの念を吹きこみ、それは人道的かつ実践的であった。彼らはそれ以前のいかなる共同体とも異なる人間味のある共同体を創り、そこで残酷さ、社会的不正が見られることは稀であった。」7


イスラームの支配下にあったキリスト教宗派について議論しつつ、トーマス・アーノルド卿はこう記します。


「イスラーム的寛容の原理はこれらの(既述の)抑圧行為を禁じさせました。ムスリムは他者とは正反対だったのであり、彼らはキリスト教徒の被統治民すべてを惜しみなく、公平かつ平等に扱ったようです。その例としてはエジプト征服の際、ジャコバイト派が東方正教会とビザンチン権威の放逐において優勢に立ったときに見て取れます。ムスリムは東方正教会側が所有権の証拠を提示した際、彼らへと所有権を譲ったのです。」8


シチリア人東洋学者であるアマリはこう記します。

「アラブ・イスラームの支配下において、被支配者となった(シチリア)島の住民たちは、イタリアによって支配されていた時代と比べて快適に感じ、彼らに満足していたのである。」9


ナドミー・ルカはこう発言しています。

「次のように述べる法よりも、不正と偏見を徹底的に根こそぎにするものはないのだ。

 “…人びとを憎悪するあまり、あなたがたは(仲間にも敵にも)正義に反してはならない。”(クルアーン5:8)


…こうした基準に則り、その他いかなるものとも譲歩せず、高潔な信条と厳正さを併せ持つ宗教のみに自らをささげてこそ、初めて自らに名誉を帰属させたと主張することが出来るのである。」10



Footnotes:

1 アッ=ティルミズィー。

2           Hayyan, Abu Bakr, ‘Tarikh al-Qudat,’ vol 2, p. 200

3           Tantawi, Ali, ‘Qasas Min al-Tarikh,’ p. 85

5 アル=バイハキー「スナン・アル=クブラー」

6 ユースフ・カラダーウィー‘Ghayr al-Muslimeen fil-Mujtama’ al-Islami,’ p. 31

7           Quoted by Siba’i, Mustafa, ‘Min Rawai Hadaratina,’ p. 146

8           Arnold, Thomas, Invitation To Islam,’ p.  87-88

9           Quoted in Aayed, Saleh Hussain, ‘Huquq Ghayr al-Muslimeen fi Bilad il-Islam,’ p.  39

10          Luqa, Nadhmi, ‘Muhammad: The Message & The Messenger,’ p. 26

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